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大阪地方裁判所 昭和31年(ワ)14号 判決 1961年11月30日

原告 中田キクエ

<外四名>

原告等訴訟代理人弁護士 南利三

右訴訟復代理人弁護士 岩田喜好

同 山口俊三

同 南逸郎

被告 正田武司こと 正田松太郎

右訴訟代理人弁護士 池田留吉

同 西田順治

同 清水嘉市

被告 酒井とわ

主文

一、被告正田松太郎は原告等に対し大阪市阿倍野区阿倍野筋三丁目五十三番地の一地上家屋番号同町第一四五番木造瓦葦二階建西向二戸建一棟の内北側一戸建坪十坪を明渡し、且つ昭和三十年九月一日以降明渡済に至る迄一ヶ月金四千五百円の割合による金員を支払え。

二、被告酒井とわは原告等に対し大阪市阿倍野区阿倍野筋三丁目五十三番地の一地上家屋番号同町第一四五番木造瓦葺二階建西向二戸建一棟の内北側一戸建坪十坪の内階下北側間口一間半奥行四間建坪六坪を明渡せ。

三、訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、原告等主張の本件家屋がもと訴外亡中田重の所有に属し、被告正田が同訴外人より之を昭和二十年四月賃借し、その賃料は昭和三十年四月一日以降一ヶ月金四千五百円であること、被告正田が被告酒井に対し本件家屋の階下店舗の内北側間口一間半奥行四間建坪六坪を転貸し、更に訴外松島茂雄に対し本件家屋の階下店舗の内南側間口一間奥行四間建坪四坪を転貸したこと、原告等主張の如く、訴外亡中田は被告正田に対し右無断転貸を理由に昭和三十年九月五日附内容証明郵便を以て契約解除の通告をなし、該通告状は同年九月六日同被告に到達したこと、その後同年十一月頃被告正田は訴外松島より強制執行により転貸部分の明渡を受け、同被告が右部分を占有していること、被告正田は本件家屋の賃料を昭和三十年九月一日以降支払つていないこと及び請求の原因第六項の事実は、原告等と被告正田との間に於て争がなく、被告酒井が原告等主張の如く本件家屋の一部を被告正田より借受けて占有使用していることは、原告等と被告酒井との間に於て争がない。

そして、本件家屋がもと訴外亡中田重の所有に属したことは、被告酒井の明かに争わないところであるから之を自白したものと看做すべく、請求の原因第六項の事実は弁論の全趣旨により被告酒井との間に於ても之を肯認することが出来る。

ところで、被告正田は、本件昭和三十四年二月二十四日の口頭弁論に於て、前記の転貸は同被告がなしたものでなく同被告の妻訴外正田敏子がなしたものであると主張を改め、原告等は右の訂正に対し何等異議を申立てていないので案ずるに、成立に争なき乙第十一号証によると、本件家屋の一部を訴外松島に転貸したのが昭和二十八年十月十三日で、その際作成された賃貸借契約書には貸主が正田武司となつており、証人正田敏子の証言によると、本件家屋の一部を被告酒井に転貸したのが昭和二十八年十二月十五日頃であり、被告本人正田の尋問の結果によると、被告正田が妻の訴外正田敏子と不和になり本件家屋を出て豊中市螢ヶ池に別居したのがその後の昭和二十九年十二月二十八日であることが夫々認められ且つ本件家屋の賃借人は飽く迄も被告正田であつて訴外正田敏子はその家族として同居している者である以上、たとえ、被告本人正田の供述の如く、右転貸の交渉に当つたのが訴外正田で被告正田が殆んど之に関与しなかつたものであるとしても、訴外正田の行為は被告正田の契約締結を補助する立場に過ぎないものか或いは同被告の代理人としての行為と見るべきが妥当であつて、転貸人は被告正田であると認められるから、同被告の前記主張の訂正は所謂真実に反し錯誤に基くことを理由とする自白の撤回に該当しないものと解される。

二、そこで、被告正田の被告酒井及び訴外松島に対する本件家屋の一部無断転貸につき訴外亡中田が黙示の承諾を与えたと認められるか否かについて案ずるに、先ず、被告正田の主張自体によると、同被告は本件家屋の階下店舗部分を何れも家主に無断で、(一)昭和二十四年十二月頃北側七分、南側三分に仕切る改造工事を施した上、(二)その頃ワンタン屋訴外噸花に、(三)昭和二十五年十月頃洋服裏生地商訴外中島某に、(四)同じ頃土地家屋売買仲介業訴外白木某、同岩越某に、(五)昭和二十六年六月頃訴外三井正己に、(六)昭和二十七年六月頃謡曲本屋訴外福本某に、(七)昭和二十八年二月頃中華料理店訴外張某に、(八)昭和二十八年十月頃訴外松島茂雄に、(九)昭和二十九年二月頃より被告酒井に順次転貸したこと及び被告酒井に対する転貸賃料は一ヶ月金一万四千円の約定であることが夫々明白である。

証人杉岡辰次郎、同中野美彦、同正田敏子、同正田康泰の各証言及び原告本人中田重(受継前)、被告本人正田、同酒井の各尋問の結果を綜合すると、被告正田は右転貸借に当り被告酒井より権利金として金十五万円、訴外松島より権利金六万円、賃料一ヶ月金一万円の割、訴外白井、同岩越等より権利金四、五万円、賃料一ヶ月約三千円の割、訴外福本より賃料一ヶ月約金五千円の割、訴外張より賃料一ヶ月約金一万円の割による金員を夫々収受していたこと、

訴外亡中田の住居は本件家屋より約一丁離れた所に存在し、同所に同訴外人の家族が居住し、同訴外人は大阪市内の飛田に店舗を経営していたので右の居宅に帰宅することが少なかつたが、その際は本件家屋の前を通過してその状態を絶えず観察していたこと、本件家屋の三軒隣りに訴外亡中田の妻の弟某訴外中田美彦が造花店を経営していること、訴外亡中田は被告正田より毎月異議なく家賃を受領し、転貸借の有無につき一言も問い質したことがないこと、昭和三十年四月頃被告正田の妻敏子が訴外亡中田を訪れ、転借人松島との間の明渡訴訟が思わしく進行しないので善処方を要望したことが夫々認められる。成立に争なき乙第八号証、同第十一号証によると、被告正田は訴外松島に対し本件家屋が自己の所有に属すると偽つて転貸したので、訴外松島が同被告の不信をなじり賃料を支払わなかつたことが認められる。

右の事実によると、訴外亡中田の住居が本件家屋の近くにあり、同訴外人が絶えず本件家屋の前を通行してその状態を観察していたのであるから、原告本人中田の供述の如く、訴外亡中田が昭和三十年四月頃被告正田の妻より訴外松島との訴訟事件の処置につき相談を受けた時始めて無断転貸の事実を知るに至つたものとはたやすく信用することが出来ない。これに、訴外亡中田が一言の異議もなく賃料を受領していた事実及び昭和二十四年末の転貸以来契約解除の通告を発した昭和三十年九月五日に至る迄およそ六年の長きに亘り、本件家屋の店舗が次から次へと様相を変え且つ経営者が異なるのを目撃しつつ訴外亡中田が被告正田に対し転貸の有無を問質した形跡がない事実を斟酌すると、同被告が転貸に対する黙示の承諾が有つた場合に該当すると主張するのも一応尤ものように思われる。

然し、黙示の承諾と言つてもその効力に於ては明示の承諾と何等異るところはないのであるから、その存否については各場合につき各種の事情を斟酌して慎重に定めなければならないこと当然で、一般に、単に家賃を異議なく受領したり、転貸を放任しただけでは未だ承諾が有ると言えず、明示の承諾と同視すべき特殊の事情或いは家主側の何等かの積極的な行為が存在することを要すると解すべきである。而して本件は、賃借人たる被告正田が家主の黙過若しくは転貸の未発覚に乗じ、次から次へと多数の者に転貸して本件家屋の維持存続を害した許りでなく、賃料に比較して高率な権利金及び転貸料を収受し不当に中間利得を得ていたと認めるに外なき事案であつて、賃借人の背信性は極めて強いと言わねばならない。言う迄もなく、建物の賃貸借は賃貸人賃借人間の個性的な信頼関係に基いて成立しているので、無断転貸がこの信頼関係を裏切るものとして解除の原因とされたのであるから、前述の如くその信頼関係が強度に破壊された場合には余程の事情が存在しない限り賃借人の背信行為を宥恕したと認むべきでないと考えるのが合理的であるところ、全立証を仔細に検討しても訴外亡中田と同被告との間に右背信行為を容認しなければならぬ特別の関係は見当らず、又同訴外人が右背信行為を許容したと同視すべき積極的な行為に出た形跡も認められない。結局、無断転貸につき黙示の承諾が有つたと認めることは出来ない次第である。

三、次に、証人正田敏子の証言及び被告本人正田の尋問の結果によると、被告正田は訴外松島との間の転貸部分の明渡訴訟に困却し、昭和三十年四月頃訴外正田敏子が訴外亡中田を訪れて善処方を懇請した上、訴外亡中田の代理人弁護士南利三に対し被告酒井及び訴外松島に対する無断転貸の仕末を打明けた事実が認められるが、以上の経緯が本件訴を提起するために逆用されたとの点は原告本人中田の尋問の結果に照らしたやすく措信出来ない。仮に、被告正田の右懇請に対し訴外亡中田が温情ある処置を執ると答えたため訴外敏子が転貸の事実を打明けるに至つたという事情にあるとしても、家主が賃借人に対し転貸の有無を質問するのは当然の行為であるし、右のような経過によつて転貸の事実が発覚しそれが訴訟に進展しても之を以て甚しい背徳行為と目することは出来ない。又、賃貸借契約のよつて立つ信頼関係を裏切る無断転貸の如き行為にあつては、それを理由とする解除権行使に至る過程に於て些小の瑕疵があろうとも一般には権利乱用の成立する余地がないと考えるのが相当である。従つて、前記の如き事情の存在を前提とする被告正田の権利乱用の主張は採用することが出来ない。

四、被告正田は更に、訴外亡中田と被告酒井間にひそかに本件家屋に関する賃貸借契約が締結されていて、本件訴は被告正田のみを本件家屋より退去させることを目的とするものであると主張するが、全立証を検討しても右の事実を推認することが出来ないので、右事実の存在を前提とする被告正田の権利乱用の主張は排斥を免かれない。

五、以上の如く被告正田の主張は凡て理由がないので訴外亡中田の昭和三十年九月五日附の契約解除の通告は有効と解する外はない。然らば、訴外亡中田と被告正田間の本件家屋に関する賃貸借契約は契約解除により昭和三十年九月六日を以て終了したので、同被告は訴外亡中田の相続人である原告等に対し本件家屋を明渡すべき義務及び昭和三十年九月一日以降右明渡に至る迄適正賃料相当額の金員として支払うべき義務を負うものである。又、被告酒井は本件家屋の一部を原告等に対抗して占有使用すべき権限につき何等主張立証をしないものであるから、原告等の所有権に基く妨害排除請求に応ずべき義務が有る。

六、ところで、被告正田は原告等に対し金七十七万円の損害賠償請求権を有すると主張するが、右債権成立の前提たる訴外亡中田と被告酒井間の賃貸借契約締結の事情が肯認されないこと前認定の通りである以上、右債権の成立を認めることが出来ないので、同被告の相殺の抗弁は失当として排斥されねばならない。そして、検証の結果によると、本件家屋の階下店舗の部分が七坪以上であることが認められる上に、成立に争なき乙第十五号証によると、本件家屋の一部につき一ヶ月の賃料を金七千円とする旨の裁判上の和解が成立していることが明らかなので、本件家屋には統制令の適用がないものと解される。そうだとすると、特別の事情のない限り約定賃料たる一ヶ月金四千五百円がその適正賃料であると認めるのを相当とする。従つて、被告正田は原告等に対し昭和三十年九月一日以降本件家屋明渡に至る迄一ヶ月金四千五百円の割による金員を支払うべきである。

七、よつて、原告等の本訴請求をすべて正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用し、但し、仮執行の宣言を求める部分は事案の性質上相当でないと認めて却下することとして、主文の通り判決する。

(裁判官 石垣光雄)

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